2011年5月19日木曜日

ボニーのこと

アメリカでのこと。
帰国直前に、最後に図書館ではたらくボニーに「さよなら」を言いに会いに行きました。
彼女は、私の日本の家族が大丈夫かきいてくれて、気をつけて帰ってね、と言いました。
恥ずかしいことですが、私は、すっかり、「大地震の国から来た子」という扱いに慣れていたんだと思います。ちょっとでも心配をすくなくしようと、なにか冗談を言って、私は彼女を笑わせようとしました。けれども、彼女の表情は硬いままで、「わたしの友達が仙台にたくさんいるの。まだ、連絡のつかない人がたくさんいる。。。。」と言いました。

ボニーは、数年前に、JETプログラム(海外の若者に日本で働きながら、日本文化の理解や国際交流の機会をもつ日本政府主催のプロジェクト)で来日し、2年間、気仙沼の中学校で英語の先生として働いていました。(ETプログラムで来日していた外国人もこのたびの震災で亡くなっているそうです。心よりご冥福をお祈りします。)

ただ単に、大きな災害が起きたことに同情を寄せてくれてる、というのではなく、海外にもこうしてショックをうけている、傷ついている外国人がいるということに、また、つよいショックをうけました。その日、私は、彼女の笑顔をみることはできませんでした。
うまく、説明できませんが、このことは、いまでも、何度も何度も思い出すことのひとつです。

ボニーは、別れ際、わたしに言いました。「ユコは、アメリカで英語を学んだでしょ?だから、日本に帰ったら、外国人をたすけてね。」



今回、カフェのメンバーには、ボニーのように、JETプログラムで来日し、京都で働いているジェニファーとサラが参加しています。

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